« 常陽新聞[ペンでつながる心のタスキ] | トップページ | 声明書 | 自由と平和のための京大有志の会 »

きょうは沖縄慰霊の日。

Okinawasennniikite

調布時代、市民活動をともにした友人・山本豊さんのお父さん・山本義中さんが書かれた本『沖縄戦に生きてー一歩兵小隊長の手記ー』(87.10.20、ぎょうせい刊)。
庭先から執筆中の山本さんにご挨拶した時のお姿は記憶に残っている。
ぼくの父は悪名高き「治安維持法」が制定施行された1925年生まれですが、山本さんのお父さんは4歳上。
父は海軍兵として南方に送られ、敗戦、捕虜生活を経て帰国。帰国後マラリアの療養を経て、連合軍統治下警察・消防が分割された東京消防へ。
大半を救急隊員として人命救急にあたった。
山本さんのお父さんは、陸軍兵として中国へ、そして、昭和19年には沖縄に転戦され、歩兵小隊長として戦車砲に撃たれて重傷。左手を失われた。
復員は敗戦1年半後。繊維会社の社長をされた後、東京都教育委員会職員として障碍者教育、福祉で尽力されたと豊さんから折々に聴いていた。
愛新覚羅 溥儀さんの弟・溥傑さんとも長らく親交があったと聞いている。
生涯を通して慰霊の旅も続けられた方だった。
調布駅前真光書店員時代、店先でよくお見かけした、ゲゲゲの水木しげるさんとは同じ町内。戦地で片手を無くしたもの同士、いろいろ話したと聞く。

豊さんからいただいたお父さんの著書には、書評欄で取り上げられた1988.1.11の切り抜きを挟んでおいてあった。
鶴見俊輔さんが評された記事だ。
(以下抜粋)
 ’大きな戦争の中で歩兵小隊長の視野は限られている。~~当時の記憶とその後刊行された資料のうらづけにもとづくこの記録は、これまでの私の読んだ戦記の中で、きわだった作品である。~~小隊長の眼の高さからは、部下のひとりひとりがその人柄とともにおぼえられる。戦死は、ひとりひとりの生命の終わりとして心にきざみこまれる。そこが、司令官や参謀の戦記とのちがいだろう。しかも配属された現地の女学生について、こういう人々を負けると決まっている戦闘にまきこんでよいのかといううたがいがはじめからあって、この戦記に奥行きをあたえる。~~
米軍の上陸作戦がはじまって日本軍の敗北を前にした日、山本少尉が中隊本部をたずると、「女学生達五人が雀の子みたいに並んで座っていた。こんな十四、五歳の少女まで戦争に巻き込み、自分の国で戦う事への不安は、私だけではないはずだ。なぜもっと早く、内地や山原(ヤンバル)に疎開させなかったのだ」。
沖縄の作戦指導に何の影響もあたえなかったこの小隊長の思想は、敗北後の放浪の中で彼を救い、敗戦後の彼の日常を支える。’

いままた、憲法無視の嘘つき安倍自公政権によって、日本が危ない道を歩む瀬戸際に立たされている。
先人の犠牲の上に、長らく平和な時代を生きてこられたぼくたちは、いまを生きる非戦平和を希求する人たちとともに、未来の人たちに対して、より平和な時代を引き継いで行かねばと考える。

« 常陽新聞[ペンでつながる心のタスキ] | トップページ | 声明書 | 自由と平和のための京大有志の会 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

自治・社会」カテゴリの記事

風の人・土の人」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/1801/61785919

この記事へのトラックバック一覧です: きょうは沖縄慰霊の日。:

« 常陽新聞[ペンでつながる心のタスキ] | トップページ | 声明書 | 自由と平和のための京大有志の会 »