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夏期休暇中日

とにかく暑い。
今日は父を連れて湯楽の里へ行き、昼食をともにしてきた。
あすは68回目の敗戦記念日!
大正14年生まれの父は、昭和と歩みをともにして来た。
開戦翌年の昭和17年、17歳で日本帝国海軍に志願入隊し、横須賀の隊に入隊。
千葉での落下傘降下訓練を経て、アッツ島に派遣される予定だったが、アッツ島玉砕で計画変更となり、南方のナウル島に送らた。
敗戦時、連合軍オーストラリア軍の捕虜となり、インドネシアで捕虜生活を体験し、帰国後はマラリアを発病し、岡谷の実家で1年余り養生生活を余儀なくされたという。
幾人もの戦友がナウルやインドネシアから帰還できなかったという。
父が言うには若くして志願入隊だったことや直属の上官に恵まれたことなど、それと伯母たちの話などからして、若さと子ども時代のわんぱくさなども生死を分けたのかもしれない。

療養後、警視庁を受け合格。半年後、連合軍施政下で警察と消防の分化指令の元で消防を選択し、東京消防庁職員として半生を送ってきた。
すでに退職後(当時東京都の退職は57歳)、31年を過ぎたが88歳となったいまも市内の実家で一人暮らしを続けている。
ナウル島には行ってみたいという。降伏する前に、軍刀と鉄砲を埋めてきたらしい。
いまとなっては場所を確認しようもないと思うが、当時を思い出すのだろうか?
いっしょに当時の体験を語り合える戦友たちもいまは皆亡くなり、思いはあっても現実には行けまい。

部隊は違うがナウル島でも日本軍が病気療養中の島民たちを沖合に運び、生きたまま海に投げ捨てて全員殺したと話してくれたことがあった。
自身の戦争体験から、あの戦争のばからしさを語る父ではあるが、当時の軍国教育が子どもたちに与えた影響は個のレベルで抗しえない影響を及ぼしたことも事実だろう。
南京大虐殺などの戦争犯罪は無かったこととして歴史から消し去ろうとする勢力が戦後台頭していることも事実だ。

また、戦後も日本は自国で戦争責任を総括できないできた国だ。
極東裁判が先勝あ国による裁判であったことも、戦争処理の習いとして真実でない面もあったかも知れないが、ひとつの事実だったことは理解できる。
だが、実際に体験した生き残り兵士たちの日本軍の犯罪証言も繰り返されている。
ぼくは後者を信じる。

普段優しい大人だったかもしれない人たちを、恐怖で狂気に追い込む戦時状況を人道的に許してはならない。
昨今の選挙情況を観ていると、歴史に学ばない人たちの台頭が日本を危うくしていることを感じるのはぼくだけではないだろう。
中学生の時、戦争責任を取らなかった天皇や戦後創設された憲法違反の軍隊の存在を否定し、校内弁論大会学年選抜で教員の指導を受けたが、自衛官を父にもつ友人が、かばってくれた。
これからも、そうした状況には抗していける人間であり続けたいと考える。

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