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父の米寿の祝い 食事会は土浦市の老舗料亭・霞月楼にて

大正14年生まれの父。今月で米寿を迎えた。
お祝いにと明治22年創業、土浦の老舗・霞月(かげつ)楼で食事会を催した。
土浦に住んで50年以上になるが、東京に勤めていた父は知らなかったそうだ。
同い年の母には一昨年1月に先立たれた。

中信・岡谷生まれの父は、17歳で海軍に志願入隊。
久里浜時、東京で行われた山本五十六さんの葬儀には団員から選ばれて出席していたという。
はじめはアッツ島に派遣される予定だったが、直前に島が玉砕。変更となり南方の赤道直下のナウル島で敗戦を迎え、連合軍・オーストラリア軍の捕虜となり、ニューギニアで捕虜生活を経験した。
復員後は連合軍傘下の時代に警視庁に、ほどなく消防分割時に東京消防庁に、退職までの大半は救急隊員として、人の命を助ける仕事をしていた。

戦争には否定的だ。ぼくも軍隊は肯定しない。
いま戦争の生き証人最後の世代がいなくなろうとしている。
記憶を風化させてはいけないと思う。
霞月楼 
Dsc01972
▲土浦市・阿見町は予科練、霞ヶ浦海軍航空隊縁の地
ドイツのツェッペリン号訪問受け入れの地でもあり、その都度歓迎の宴などで使われたのが明治22年創業のここ霞月楼です。
縁の品々が展示されています。

Dsc01973
▲連合艦隊司令長官・山本五十六さんがお世話になった霞月楼二代目ご夫妻に宛てた礼状。
差出日はS16.12.5です。太平洋戦争開戦三日前!
旗艦・長門から(@_@)

Dsc01995
▲父のことをお話しいておいたので、霞月楼が保管していた屏風を見せてくれました。
女将さんのお話ではS19.5、土浦海軍の士官たちが特攻隊に配属される際の送別会で、この屏風に描いたそうです。
右側にある「○に磯」のサインをされた方は、この屏風を観た方が友人のものかもしれないと、ご本人に連絡され、92歳になられるご本人も訪ねて来られ確かに自分のものと証言された、伺いました。
この屏風にも戦時下を生きた若者たちの不条理への思いが感じられました。
鏡文字で書かれた「春駒」と「梅太郎」その日の宴の芸者さんとともに中下に描かれた裸婦の絵や中段の似顔絵など自分の死を覚悟した当時の若者の正直な感情・絵心も感じられます。

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